新月の願い~涙が溢れ出たこと
昨日は稲荷山公園でイベントに出店したため、朝4時起きで準備でした。
小さな、とても雰囲気がよいイベントで、
「公園」の底力を感じました。
公園に来ている人は、お店や、駅や、他のところに居る人と違って、
あまり急いでいません。
多くの人が、リラックスしに来ている。
広々とした屋外の空間で、
ただ、座ったり、歩いたり、遊んだり、食べたり、おしゃべりしたり…
すごく単純な原始的なことをしに来ている。
みなさん穏やかで幸せそうに見えました。
だからかな?
あんなに早起きして、ずっと接客していたけれど、
夕方の終了時になっても、全然疲れた感じがありませんでした。
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そんなわけで、帰宅早々、ホッとしてすぐ眠くなってしまった私。
お風呂の順番待ちの最中に、眠りに落ちてしまいました…。
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一夜あけて、今朝、
長女が教えてくれました。
「昨日、ママ、すごく寝ゴト言ってたよ」
ああ、なんとなく覚えてる…気がする…
「ママ、お風呂空いたよ、入る?」って聞いたら、
私は寝ボケ声で
「…なんか、誰かが喧嘩してたみたいだけど…。
お鍋にパリプ(レンズ豆のカレー)とポルサンボル(ココナツのふりかけ)があるから、食べてね」
と言って寝てしまったそう。
その後、もう一度長女が声をかけると、一瞬しっかり受け答えしていたように見えたが、続けて
「お鍋にパリプとポルサンボルがあるから…ムニャムニャ…」
と、しつこく言っていたとか…。
全く記憶にないわけではなく、ぼんやりと覚えているような…。
眼鏡を外した長女が見下ろしている姿は見えていた
けれど、動かしている口が何を言っているのか分からなくて、
ただ、言わなくちゃいけないと思って言ったことがパリプとサンボルだったのかもしれない。
亡くなる前、母が、私がなにか話しかけると、返事をしてくれるのだけど、それが
会話のキャッチボールではなく、お互い違う話を交代交代に話している、という現象があったのだけれど、
認知症になると、こんな風なのかな…
とてもよく知っている相手が、口をパクパク動かして、なにか話しかけてくるけど、
何のことか分からない。何か返事をしておこう。
大好きな娘と、そうやってキャッチボールをしよう…。
そう思うと、母が、全く内容に沿わない返答をあれこれしてくれたのが
とても尊いことだったな、と想い返されるのでした。
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そして、長女にその様子を聞いたとき、ブワッと涙が溢れそうになったのです。
それは、
ほとんど夢の中で無意識の私の【気がかり】が
『誰かがケンカしているの?』
ということと、
『ちゃんと食べた?』
ということだったということ。
それを聞いて、私の、そして、人間の
【純な願い】
を改めて見たような気がしたのです。
戦争や諍いがなく、お腹を減らして困ることがないように
そういうささやかな願い
自分の親から受け継いだ想い
きれいごとではなく、自分の中に、そういうものがあると知れて
そして、直感的に、きっと、みんな人間はそうなんだろうな、と感じられて、
涙が溢れてしまいました
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そういう
シンプルな根源的な願いは
これからどんどん見直されていくような気がします
そんな、新月の願いでした。
※写真は稲荷山公園でのイベントの #kivi chandle さんのキャンドル。